| 【お店】ケーキハウス ツマガリ |
| 【パティシエ】津曲 孝 |
【住所】〒662-0015
兵庫県西宮市甲陽園本庄町6-38 |
| 【TEL】0798-72-1071 |
| 【営業時間】8:30〜19:30 |
| 【定休日】水曜日 |
【HP】有り→ |
| 【他店舗】大丸梅田店・心斎橋店・神戸店(焼菓子のみ) |
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甲陽園本店
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| 【パティシエ・プロフィール】 |
| 1950年生まれ |
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1967 |
ヒサモト洋菓子入社(東京) |
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1972 |
潟Gーデルワイス入社 |
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1980 |
アンテノール社長就任(工場長兼任) |
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1986 |
ケーキハウスツマガリ 独立 |
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製菓技術者 津曲 孝
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パティシエ 津曲 孝 さんが修行されていた企業
潟Gーデルワイス(アンテノール/ヴィタメール/ルビアン 3ブランド展開)
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| 【先輩の勧めで洋菓子店へ就職】
僕は、お菓子屋さんじゃない人がお菓子屋さんを紹介してくれた。17歳になる前にですね。
東京のヒサモト洋菓子店をいうところです。僕は九州生まれだからデコレーションケーキとかショートケーキとかそんなものは知らない。食べたこともないし、洋菓子店という名前すら知らなかった。強引に勧められて入れられたという感じでした。自分でこの世界を選んだということは全くないですね。
ヒサモト洋菓子店で、5年近く居ました。運よくそのお店は、日本洋菓子業界の中で草分け的なお店でね。お店のオーナーが連合会の会長をしておられた。歴史あるお店です。このお店は、宇野重吉が出演していた『恋文(監督:田中絹代)』という映画の撮影現場になったところで、東京の渋谷(道玄坂)にあった。当時はとても風情のあるところだった。料亭がいっぱいあってその近くにお菓子屋があって・・・北島三郎とかが流しなんかをして育っていった場所だった。そんな街で修行をした。
その後、先輩の紹介で、小さなお店を半年ほど経験した。紹介してくださった先輩が、潟Gーデルワイスというお菓子屋さんが業界の風雲児で面白いから行ってみたらどうだと紹介してくださった。その先輩というのは、運送会社の仕事をしていて、僕を使ってお菓子屋さんをしたかったんです。だから、仕事を覚えさせるために、あそこがいい、ここがいいといろんなところを紹介してくれた。結果的には一緒に仕事をしなかったけどね。エーデルワイスを紹介して、僕は結局自分で独立するまでエーデルワイスでお世話になっていたからね。
エーデルワイスに入れていただくとき、お店が出来て8年目の頃だった。塚口の本店へ行って、面接を受けて、その場で履歴書を書いた。あまりにも汚い字だったから、給料が初任給になっちゃってね。最初のお店の給料の三分の二位になってしまった。3万か4万だったかな・・・・
僕が修行に入った頃は、パティシエという言葉すら、洋菓子職人という言葉すらなかった。
和菓子屋さんが主流でね。まだ、生ケーキもなかった。
ここ10年くらいパティシエという言葉がマスコミなんかで取りざたされるようになってきたけどね。
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| 【エーデルワイス時代】 |
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比屋根会長(潟Gーデルワイス)に色々なチャンスを与えていただいたことが、大きい。会社から海外へ勉強に行かせていただいたのは、僕が第一号だった。26歳だった。その時は、お菓子の真髄まで達していないのに修行に行ったわけだから、無我夢中で何も分からなかった。後々にね・・・・20年30年たってかみしめるように分かってきた。修行というのはそんなもんだ。行ってすぐ感じられるほどの才能はない。行って無我夢中で身に着ける。けど、身につかない・・・形は身についても、その真髄が分かるまでには年数がかかる。海外へ修行に行くお話をいただいた時、僕は断ったんだよ。使命感もなかったし・・・あったのは元気だけ。選ばれたのは、優秀社員を3年連続でとっていたからだろうね。会社の役員が選ぶんだけど・・・
人材を選ぶにあったって、いい考え方を持っているか、悪い考え方を持っているか。それは大事なこと。純粋に言われた事を一生懸命やって、少しでも、いい方向に行くように考える。人の話もよく聞き、会社をいい方向へ導こうとする。自分も人生観をたかめようとする心を持っている。そんな土台があったのではないかなあと思うね。明るい攻撃性が強かったんだろうね。その時に能力があったとは思わないけど・・・・。
30歳でアンテノールの社長になった。今から24年前だ。工場長兼任で。
36歳で独立を決意。「きっと自分は経営の力はないと思うから、自分でやって一年間でつぶして会社に帰ってきますから。」そう理由を言って、会社を辞めさせてもらった。だけど、お店はつぶれなかった。
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| 【トロフィーも賞状も全部捨てた・・・30代の足跡だから】
昔は、工芸菓子にすごく打ち込んでいた。これに取り組むと根気強さが身につく。そして、勝ってくると自分に自信が付いてくる。そういう意味でとてもいいなあと思っていた。僕自身は、22歳ではじめてコンテストに出た。Cクラスに。でも、通らなくって、落ちて・・・それで、がんばったんだけどね。色々たくさん賞も取りましたけど・・・、30個ぐらい取ったかなあ・・・。
でも、トロフィーも賞状も何もかも・・・全部捨てた。独立したからといって僕は一切飾らない。表彰状は・・・それは、その時に終わったんだ。全部捨てた。
それは、それで終わり。別に大事に展示したいとも思わないし、それは、足跡だから。
お店にも、家にも一切飾らない。それはプロセスの中でやっていたことで、自分は工芸菓子屋ではなくって、お菓子屋だから・・・だから飾らない。
お店の子達が勝ってきても飾らない。自分たちの家に飾ればいい。お店には一切飾らない。お店に入ったらそんな雰囲気ないでしょ。お店に来てくれた人がほっとして、癒されてくれたらいい・・・だから飾らない。そんなものを飾っているようではまだまだたいしたことはない。
過去の事だからね。過去を振り返ることはある・・・コンテストが僕の人生観を助けてくれたことは確かであるが、それを大事にしていたら、前に進まない。終わったことだから。次の人生観をつかまないといけない。それは30代までの足跡だからそれを自慢しても仕方ない。50代の足跡を作っていかないと。
生まれたら死に向かうというけど・・・違うね。成長に向かって、そして朽ち果てる。どんな花を咲かせて生きるか・・・・30代で咲かせた花よりも、最後に咲かせた花がきれいなほうがいい。今のことを頑張ればいい。
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| 【18年間一度も改装していないお店】
このお店は、作ったときから、一度も改装をしていない。18年間。替えているのは電球だけ。お店は、当時のまんま。その時1300万円かけたお店がいまだに息づいているという事。・・・・この店を自分が死ぬまで一度も改装せずに終われるだろうか・・・それに挑戦しようと思っている。お店のショーケースも18年間一度も故障もストップもしていない。掃除を毎週するでしょ。中をバラしてね。そうやって丁寧に大事にすることだね。魂をもって愛すれば長生きをする。僕は、磨くということも大切だと思っているんだね。作り替えることよりも磨くことだ。磨くことの方が大切。人も同じ。磨くものだ。
甲陽園・・・お店の周辺一帯を毎朝うちの社員に掃除させている。社員教育としてね。それはとても大事なこと。とにかく、この甲陽園でお菓子屋をさせていただいているということをすごく意識している。根本に『甲陽園という街を愛している』という変わらない気持ちを持ち続けている。この街には、ロケーションアイデンティティーがある。その場所に存在感がある。たまたまこの場所を選んだんだけど・・・僕は導いてもらっている運命というものを感じる。自分の人生は、出会い、出会いの中で、導かれている。何かに導かれこの甲陽園に来たことも運だ。先輩がお菓子屋を紹介してくれたことも運だ。
僕は、このままの姿で・・・工房の街を作っていきたい。でっかいビルを建てることが仕事ではなく、お菓子を作ることが仕事なんだ。お菓子屋なんだ。企業ではなく、お菓子屋を根付かせたい。お菓子屋を・・・・それ以上のものは何もない。
可愛げのあるお店でありたいなあ。お菓子屋さんは可愛げがなければいけないと思ってるね。
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| 【スーパーショップ】
『スーパーショップ』とは何をスーパーというか分かりますか?
『スーパーマン』というとどんなイメージがありますか?『スーパー』というのは、『人が出来ないことが出来る』こと。スーパーマンは、人の出来ないことが出来るでしょ。空を飛べるからね。
僕は、今、250人の人たちを養っている。年間18億円の売り上げを上げている。この小さな17坪のお店で。どう考えても、お店にそれだけの売り上げの商品を買うお客さんは入れない。これが『スーパーショップ』の面白さだ。分かっていてもなかなか出来ない。だから、面白い。いろんな方が僕のところに話を聞きに来るんです。先日も、地方の県知事さんが話しを聞かせてほしいといって来られましたよ。ありがたいことやなぁ。
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【8,000種類の商品の開発・・・本物が見たくなった】
独立前に前の会社で社長していた頃から開発が好きでずっとそれをやっていた。デコレーションよりも商品の開発。ヒット商品の開発を。8000種類くらいお菓子を開発して、堂々巡りをしてきたが、どれだけ仕入れた材料で・・・出来合いの材料で、工夫して作ってもおんなじ。配合をいくら勉強してもだめ。素材がかわらないと。
お菓子というのは下準備の仕事の固まったものが完成品なわけだから、下ごしらえを出来る人は強いわけだ。たとえば、マジパンというものを作ろうとしたら、マジパンを、フォンダンを作ろうと思ったらフォンダンを、チョコレートを作ろうと思ったら、チョコレートを作らないといけない。豆から。出来合いの材料をちょちょっと混ぜていたのではお菓子はできない。本当の本質まで入れないでしょ。自分のお菓子を創りたかったら原料から作らないと。そうすれば自分の味が引き出せるんだ。そうするとお菓子の味に特徴が出てくる。
うちはココアは仕入れない。ココアを作るから。コーヒー、アールグレー、抹茶のパウダーも作る。アールグレーのお菓子を作りたかったら、そのアールグレーがどこの産地のものでどういう引き方をするかが大切。業者が持ってくる材料を使っているのではだめ。
ココアを作ろうと思うと、豆をひく機械が必要になってくる。だから、機械も開発する。
結局、一言しかない。お菓子屋をやり続けているうちに本当のものが見たくなった。菓子屋をずっと続けているうちに本物の窓をのぞきたくなった。本物というものは何かという素朴な問いを突き詰めたくなった。それが終わらないと自分が菓子屋をやった気がしないら・・・。
あまりにも気付くのが遅すぎたけど・・・・50過ぎてからやっと気付いたけど・・・・今からでも遅くないと思ってやろうと思っているんだ。
40年間菓子屋をやってやっと気付いたんだ。いい素材を使わないといいお菓子を作ることはむつかしい。それにようやく気がついたんだ。
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今のうちのお菓子は、なんら変哲はないけど、ガラッと変化した。中身が変わった。原料から作るからね。
自分の思いのこもったお菓子が自分で考えて創れる・・・・うれしいなあ。お菓子・・・かわいいなあ〜。してあげても、してあげても、損だと思わんなぁ。
お菓子つくりというのは好きな職業になっちゃったけど、最初は好きじゃなかった。自分の家がお菓子屋だったわけじゃないんだから・・・分からない世界。分からないんだから・・・だけれども一生の仕事になってしまった。やり続けている間に・・・ただそれだけだ。
ただその中に一生懸命という言葉があるけれども・・・ただやり続けている間に本気になっていったんだ。
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【原点は子供の頃の体験】
これを目覚めさせたのは、子供時分に遡るのかなぁ・・・・
自分の家では、味噌、しょうゆ、豆腐、ところてん、そば、あずき・・・なんでも自前。お金がないから。塩と砂糖だけはどうしようもなかったけど、それ以外は全部自分たちで作っていたね。手伝わされてつくっていた。
生きる・・・ただひたすら・・・3度3度食べなくてはいけない。お腹が空くから食べるものを探さなくてはいけない。母親は病院。父親は居ない。80歳のばあさんがいるだけだから・・・・あるのは借金だけ。
そんな中でどうやって食べて生きていくか・・・生きていくためにありとあらゆる知恵がわいてくる。山に行けば、山鳥を捕まえればいい。海に行けば、海の幸がある・・・・・生きていける。ただ、食べる。おなかがすくから、ひもじいから食べる。シンプル。そのことが結果的には、感性を鋭くさせる。だから、僕は、水さえあれば、無人島で暮らしていけるね。海さえあれば、何でも食べて生きていける。
ある講演会でモロゾフの会長の松宮さん方とホテルで講演したとき、ほかの方々が20歳も30歳も上なのに、僕の話を聞いて、「津曲君が明治生まれで僕たちが昭和の生まれのように感じる。」といわれました。山の田舎の端の端に行ったらこんなもんだった。みんな貧乏で・・・お店がない、産業がないから収入がない。だから自分で作る。自然の調理法を知っていく。
自然に素材感が身についている。サトウキビはどんな味。サツマイモ、きゅうり、なすび・・・・しいのみ、栗、ヤマモモ、苔桃・・・川海老、どじょう、タニシ・・・なんでも捕まえて食べたからね。湧き水のようなきれいな川で泳いた。そういうことが味覚の下地になっていることは確かだね。自分の腕がどうかは分からないけどね。
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【製菓技術者 の名刺】
僕は独立3ヶ月前に作った名刺をそのまま使っている。自分のお店をまだもてていない状態のときに作ったものを。
『製菓技術者』というのは、その時につけたまんま。最初からこれ。この名刺は、70歳、80歳のおばあちゃんでも名刺を見せたら、『お菓子を作る人』とわかるように作ったものなんだ。
製菓技術者とすると、名前がそのまま、そのものなんだ。誰が見ても、『お菓子を作る人』と一目で分かる。それ以外の何者でもない。
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【これが僕の味覚の世界、僕のお菓子です。】
うちのお菓子は素朴さがある。あまりあちこち見てまねしないからね。
僕自身のお菓子は、もっともっとシンプルで素朴。僕の味覚の世界は、うちのチョコレートのお菓子。『トリフケーキ』とか『津曲社長』というお菓子とか・・・・僕の名前をつけてあるけどね。あれが僕のお菓子。地味だけど・・・・。僕の好きなお菓子だ。
『津曲社長』
これが僕の本質のお菓子。いっさいお酒なんかは使わない。これが僕のお菓子。この味を作るのに、味を引き出すのに30年かかったね。かめばかむほど、味が引き出されてくる。噛んで、一時してから味が出てくる。味がなじんで・・・口の中で味がかわっていく。素朴な生地だけど・・・アーモンドで作ったマジパンで作ったスポンジバターケーキにムッシュという胡桃、ヘーゼルナッツを砂糖をからめて炒ったものを砕いて入れてある。歴史のある生地だ。昨日今日の生地ではない。ヨーロッパで何百年も受け継がれてきた配合だ。このケーキが出来たのは最近。アーモンドのペーストが作れないと、このケーキは作れない。
『トリフケーキ』
ヘーデルナッツのマジパンを作って卵黄を立てて作ったスポンジ。粉は入っていない。
チョコの味が違うでしょ全部。・・・・食べると、味覚でチョコレートの配合が見える。チョコレートの産地が分かる。産地によってチョコレートの豆の味が違う。だから産地ごとに配合する。

『シュークリーム』
これがシュークリームだ。これが・・・おいしいなあ。うちのシュークリームがおいしいといわれる由縁が分かるでしょ。素材が持っている持ち味というのがある。
うちのは皮がおいしいでしょ。皮は、焼き付けることによって味を引き出す。シュー皮がおいしいのは、いい発酵バターを作っているから。
クリームには、エッセンスや、お酒は一切いらない。だから、カスタードも砂糖だけ。そうなると卵が大事なわけ。すると卵を産む鶏が何を食べたかが大事。牛乳は、牛乳を出す牛が何を食べたかが大切。その牛乳と卵が・・・・このシュークリームの味を作る。
40年シュークリームを作ってきたけど・・・やっとこの味になった。何もかもそぎ落として、取っ払って・・・いろんなものを加えない。皮は焼き付けることによって味を引き出す。シュークリームは日々お客さんに優しくなってきたね。食の安全も含めて、お客様に喜ばれるようになってきたと思うね。お客様を喜ばすことが出来ないと売れないわけだから。
牛乳は、朝の3時に持ってくる。今日取った牛乳で今日作るために。
ジャージー乳は、1リットル1000円する牛乳を使っている。幻の牛乳だ。どこにも売っていない。だから大変なんだ見た目より。牛乳がおいしい・・・だからシュークリームがおいしいんだ。皮でも香ばしいでしょ。みんながすごいと言ってくれるなら・・・それは僕自身ではなくお菓子がすごいと言ってくれているんだ。
生ケーキは、ここ以外では売っていない。お客様にまずいものをを食べさせたくないから。
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| 『ツマガリバター』
バターも開発しなくてはいけない。バターを開発しようと思うと、乳酸菌を調べなければいけない。追求しなければいけない。その乳酸菌が見せかけの乳酸菌か後味がいい乳酸菌かうまみを引き出す乳酸菌か・・・それを探らなくてはいけない。
いい乳酸菌を見つけ出したら、それを牛乳につけてバターを作る。2〜3年たつと乳酸菌も子孫が薄れてきて味が変わってきてしまう。すると、バターの味も変わってくる。すると又新たに見つけなくてはいけない。だから、バターも特別に頼んで津曲バターというのを北海道の十勝で作らせている。
うちの焼き菓子風味がいいでしょ。あれは、バターが持っている特性があの風味を出している。市販されていないバターだから、僕独特のバターだから、まねが出来ない。
生クリームも産地によって違う。生クリームも魚をしめる如く牛乳から早く生クリームを作ってやらないといけない、生クリームが冷えくさくなってしまう。
このことは当たり前のことなんだ。食していただくお客様に喜んでいただくということが最大の喜びなんだから・・これを企業として捉えてはいけないよ。お菓子屋として捉えないと。
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【お菓子屋を根付かせたい】
『お菓子屋』を根付かせたい。『お菓子屋』だよ。
洋菓子屋ではない。洋菓子屋という言葉はおかしい。100年たったら洋菓子は和菓子になっているはずだ。和菓子という言葉もおかしいなぁ。
スイスに行ってスイス菓子とはいわない。フランスに行ってもフランス菓子とはいわない。『パティスリー(お菓子屋)』なんだ。自分の持った能力を最大限に生かしたお菓子を作る。
洋菓子といったら、常にヨーロッパのお菓子をまねしなければならない。そうじゃない。もう自分の独自性の味覚で作り上げていくお菓子だ。そして、次の時代にその文化を伝えていってあげなくてはいけない。100年200年たったとき、世の中が平和であったらきっと根付いているだろう。お菓子を根付かせようとすると、国が平和でなければならないなぁ。
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【目指す事・・・ただひたすら、おいしいと言われるお菓子を作り続けたい】
夢というのは、実現しないから夢というんだ。だから、目指すこと。
ただひたすら『おいしい』といわれるお菓子を作り続けたい。お客様に喜こんでいただきたい。ただそれだけだ。それが、僕の喜びであるし目的である。ただ『おいしい』といわれたい。それだけを求めて・・・。『おいしい』・・・、それ以上のほめ言葉はない。
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| ■取材を終えて・・・つぶやき・・・
お店に1歩足を踏み入れると、なんともいえない空気が流れる。時間がゆっくり流れている。タイムスリップしたような、なんとも懐かしい・・・優しい気持ちになる。
そんな店内は、あふれんばかりのお客さんでいっぱい。18年間一度も故障していないというショーケースもたくさんの人出でなかなかお目にかかれない。
「好きな食べ物、好きなことはなんですか。」そんな、ベタな質問に「食べるものは何でも好き。お菓子もよく食べる。好きなことは自由気まま自由・・・自由・・・・だなあ。」とあっけらかんと答えてくださった。『いつも明るく、元気よく!』そんなキャッチフレーズがぴったり。津曲さんからは、プラスのオーラしか感じられない。そばにいるだけでこちらまで元気になってしまうような・・・・そんな『スーパー』なパワーを持っておられる。
津曲さんを言葉で表現すると
『気力、熱意、パワー、元気、シンプル、まっすぐ、あたたかみ、おおらかさ、かわいらしさ、行動力、サービス精神、お客様、お客様、お客様・・・・・・お菓子、お菓子、お菓子、お菓子、お菓子・・・・・・・・・・・』とにかく人間味のある方。
取材途中、「僕の味覚の世界は別にある。」そういわれて、ケーキを持ってくるように指示をされた。「これが僕のケーキなんです。」そういわれて3つのケーキがトレイにのせられ運ばれてきた。
『シュークリーム、トリフケーキ、津曲社長』ケーキを1つずつナイフで小さく切ってくださった。「どうぞ、食べて」といわれて、ご自身も1切れぱっと口に入れられた。そして、少し空を見つめ、口の中でケーキをころがす・・・ただ、一切れケーキを切り取り、口に入れただけ・・・。
その姿のなんとも美しいこと。すべてのしぐさに無駄がなく、早い。
お菓子を作り続けて40年。8000種類の商品の開発をしてこられたという・・・いったい何度この動作を日々繰り返してこられたのだろうか・・・・歴史、重みさえ感じる。
その姿を目の前で見せていただけた私は、すごく得をしたような・・・なんともいえない優越感を感じた。
「配合は・・・・・」その後すぐさま、チョコレートの配合を少し変えるように指示を出される。こうやって日々ケーキハウスツマガリのケーキは進化していっているのだろう。
人間1つのことをここまで突き詰めることが出来るのか・・・・この方は、ケーキのことしか考えていないのでは?と思わせるほど。
ケーキハウスツマガリのケーキがおいしいのは当たり前。全国から焼き菓子の注文が殺到するのも当たり前。この方は、お菓子を愛して愛してやまないのだから。
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| 【私の手土産】(価格は税込価格) |
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| ツマガリ(368円) |
シュー・ア・ラ・クレーム(189円) |
フレーズ・ア・ラ・レーヌ(315円) |
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トリフケーキ(368円)
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津曲社長(315円)
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アイヤシュッケン(294円)
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