パティシエのクチコミ!


厳選パティシエじゅずつなぎ

HOME 厳選パティシエじゅずつなぎ 対談集 スイーツ情報ステーション
No.21
Chez Aotani 大阪エリア
 
【お店】シェ・アオタニ
【パティシエ】青谷 展行

【住所】 〒579-8013
     大阪府東大阪市西石切町1-5-3ベルテ石切1F

【TEL】0729-82-7546
【FAX】
0729-82-1280

【営業時間】10:00〜20:00
【定休日】火曜日

【パティシエ・プロフィール】
1958年 生まれ

1978

『菓子工房モンナポレオン』(大阪府八尾市)入社
20年間修行 10年間チーフを務める

1997

『西洋浪漫菓子 シェ・アオタニ』独立 オープン

 ←こちらでシェ・アオタニさんのお菓子が購入できます!

【パティシエ】 青谷 展行


【色んな仕事を経験・・・手に職をつけたい】
僕は、高校出ていないんです。勉強嫌いじゃなかったんですけどね。その時は、高校に行ってもなあ・・・って思ったんですね。だから、行かなかった。はじめは色んな仕事をしていたんです。パーマ屋さんやったり、とび職やったりもしましたね。ずっとふらふらしていましたね。

18歳の時に母親が経営していたお好み焼のお店のお客さんに、「お前いつまでも何ふらふらしてるんや。」といって怒られてね。そしてその人が布施の方の喫茶店の住み込みの仕事を紹介してくれたんです。それで2年半そこに勤めていたんです。でも、あまり環境のいいところではなくって・・・・。喫茶店での仕事と言ってもたいした仕事じゃなかったし、ここにずっといたら人生どうなるんだろう・・・と思い始めて、このままじゃいけないなあと思って色々友達に声をかけていたんです。

そうしたら、ちょうど山本の『モンナポレオン』というケーキ屋さんに就職している人がいて、その人の友達の紹介で『モンナポレオン』に面接に行けることになったんです。何か手に職をつけたいと思っていたので、ちょうどよかったんです。僕の場合、それが必ずしもお菓子でなくてもよかったんですけど、たまたまお菓子屋さんはどうだって言われて。
喫茶店でデザートなんかも作ったりしていたので、「お菓子か。これは面白いなあ。」と思って紹介してもらったんです。それで『モンナポレオン』にお世話になったんです。


面接に行った時、社長が今は洋菓子いっぱいだから、パン部門だったら空いているといわれて、1年間パンをやっていました。でも、お菓子がしたくってね・・・アピールしてましたね。

パンって仕事が早く終わるんです。自分の仕事が終わってから、洋菓子の仕事場に行って、色々手伝いをしていましたね。その当時20歳でした。・・・自分は高校を出ていないという負い目があったので、同じ世代の人には負けたくないという気持ちはすごくありましたね。『モンナポレオン』にはお菓子がしたくて入ったので・・・早くお菓子を作りたかったですね。当時、『モンナポレオン』は八尾では一番のお菓子屋でした。


【憧れのコンテストの世界】
先輩がやられていたコンテストの世界であるとか・・・そういうものにすごく憧れていました。よくコンテスト会場に行って、作品を見たりしていました。今考えるとコンテストというと別世界。形の世界ですから・・・

昔は結構、賞も取ってましたよ。日々の仕事をして、終わってからコンテストの練習をするんです。だから、その時期はみんな徹夜ですよ。『モンナポレオン』は結構こういうコンテストには盛んに参加していて、教えてくださる先輩もたくさんいたんです。『潟Gーデルワイス』さんはコンテストなんかは、ずば抜けていましたね。そんな企業とも『モンナポレオン』は一緒に競ってました。コンテストは入社してすぐから出していました。それで、初めてだったか2回目だったかにいきなり入賞したんです。「なんや簡単やん。」て思いましたよ。(笑)教えてくださる先輩が良かったんですね。僕は変に器用なところがあって、いいのか悪いのか、けっこうすぐに出来てしまうんです。

津曲さん(ケーキハウスツマガリ)の作品見て「あーいいなあ」と思って、ちょっとまねしてみたりね。色々やってました。僕らがこの世界に入った頃なんて、津曲さん(ケーキハウスツマガリ)、牧野さん(ムッシュマキノ)、川端さん(ヴィラージュ川端)3人で賞を争っておられましたよ。この方々は、当時の僕たちのような新人にとっては、雲の上の神様のような存在でした。昔のコンテストは平面的だったけど、全部手作りだったから今よりずっと面白かった気がします。

コンテストは30歳くらいまでかなあ・・・それまでは、ずっと出していましたね。

 

 


【器用であるがために・・・】
僕は、自分で言うのもなんなんですが、器用みたいなんですよね。けっこう何でも仕事に付くと始めから出来るんです。だけど、出来てしまうので・・・よくない。
お菓子の仕事も大体5年位で自分なりに出来てしまった。周りから見たら全然だったのかもしれないんだけど・・・。すると、自分では、出来てしまうから面白くなくなってくる。飽きてしまうんですね。すると又他の仕事のことを考え出したりする。だから、5年目〜10年目の間、伸びなかったですね。自分の中で5年でお菓子に対する情熱が消えてしまった。その間に結婚もしたしね。

いろんなことがあって・・・。結構ふらふらしてましたね。もちろん仕事はしてましたよ。生活があるから。でも、何のために仕事をしているのかなあ・・・みたいな。仕事はしているけれども、心の部分で穴が開いていましたね。



 【チーフに就任・・・仕事への意識改革】
30歳の時に、チーフというポジションにしてもらったんです。それからですね。もう一回本腰入れてやり始めたのは。
仕事に責任持たされて、はじめはすごく重荷だったけど、この店を発展していかないといけないし、商品開発もしないといけないし、下のものも育てていかないといけない。
・・・・ものすごく意識が変わりました。当時13人のパティシエ達がいました。それを束ねないといけない。ほんとにいろんな意味で色んな勉強をさせていただきましたね。

30歳から10年間チーフをさせてもらって、40歳で独立しました。



【シェ・アオタニ 独立】
途中33歳くらいのときに一度、独立を考えたこともあるんです。奈良の柏原の方でいい物件を見つけて、社長に「僕、ここでやります。」って言ったことあったんです。でも、社長に一緒に見てもらって、この物件はやめとけといわれたんで止めました。
その時、社長が「どこかいい所があったら言ってあげるから。」と言ってくださったんです。それからも独立したいという気持ちはずっとあって・・・。

石切の辺りもよく見ていたんです。でも、もうケーキ屋さんがあったんですね。
あー、こんな所でケーキ屋さんされてるんだ・・、けっこう大きいし・・・あかんな・・・、と思っていたら、僕が見ていたそのケーキ屋さんが辞められるので、その後誰かやってくれる人を探していると言う話が『モンナポレオン』の社長のところに舞い込んできたんです。社長が「おまえ、どうや」って言ってくださったので、「やります!」って即答しました。
何か縁が合ったのかなあ・・・。石切さんのところやし、前からやりたいなあと思って見ていた場所だったし・・・。和の雰囲気がある町だからね。


4月末で会社を辞めて、8月の末にオープンしました。独立するにあたって、お金が全然無かったので、お金の面でも社長にすごくお世話になりました。ケーキ屋さんの後に入るので、機材が一応そろっていた。ぼろぼろでしたけど・・・、それを全部安く分けてもらって始めました。


辞める(つぶれる)と言われているお店だったので、気になって・・・。どんなお店か店の前で一日中見ていたことがあるんです。
あまりお客さんは入っていませんでしたね。まず、ケーキを見た瞬間に「あっ、これはあかんかな・・・」って思いましたね。買って食べたらやっぱり・・・。

これは、チャンスでもあるけど、逆にこんなイメージが付いているからこれはだいぶ気合を入れてお店をやらないとだめだなあ・・・って思いましたね。同じケーキ屋でしょ。このイメージを引きずったら・・・と思ったら怖かったですね。でも、地域の人が喜んでくださるようなおいしいものを作りたいという自分の思いが在ればいつか分かってくださるだろうって思っていました。


オ−プンから半年間けっこう辛かったですね。と言うのも、100%還元していたんですね。1000円の商品を買ってもらったら1000円の商品券をプレゼントしていた。1000円の商品券を持って今度来てくださったときは、お金は入らないけど、商品は作ってお渡ししないといけない。材料費もかかるしね・・・ほんと辛かったです。お金がないと・・・と思いましたね。

 


【新店オープン】
ここの今の新しいお店も、前のお店のお客さんからのお話だったんですよ。
このお店の上のマンションは老人向けのマンションなんです。日本で一番大きな健康な老人の方が入られるマンションです。
このマンションを建てられる時にオーナーが入ってくれませんかとお話しを下さったんです。レストランとかお菓子屋さんとか何か飲食店を入れたいと思われていたみたいで、そういうお話を頂いて・・・どうしようかなあ・・・と思ったんだけど、僕が断ったら、誰か他の人がするだろう・・・それはいやだなあ・・・と思ってね。それでやることにしました。だから、設計段階から色々相談にのってくださって、入り口のテラスやエントランスの部分も全部意見を聞いてくださって・・・・すごく協力してくださいました。表のベンチに老人のカップルが座って休憩していたり、親子連れの方が座っておられたり・・・とってもいい感じなんですよね。


このお店は、2003年の7月7日にオープンしました。自分のお店は喜びを感じますね。
おいしかったよって言われたら、嬉しい。それしかないでしょ。それがあるから出来るんです。それが無かったらこんなしんどいこと出来ませんよ。お菓子を作ることが趣味という訳では無いけど、それくらいの気持ちでやらないと・・・。
僕の場合『モンナポレオン』でチーフをさせてもらった時ぐらいから、「お客様に喜んでもらいたいとなぁ。」いう思いがすごく強くなってきましたね。


利益は全然出ませんけど・・・・、今も以前と変わらず大変です(笑)。前より店が大きくなったので、その分漕がなくてはいけない自転車が大きくなっちゃって・・・
()。一生懸命漕いでます。


・・・・運命的なことってありますよ。変な話ですが、ホロスコープとかを見てもらったときに、この仕事に就く星の下に生まれているといわれました。だから、そうなのかなあ・・・天職なのかな・・・・、と思ったりしますね。



【和と洋のエッセンス・・・影響を受けたケーキショップ】
『和』が好きなんです。自分がやるともっともっと和になってしまう。嫁さんはすごく洋なんです。だから、和と洋の要素がミックスされているんです。
和の要素は全て僕の思いですね。最初の店はこれほどではなかったんです。でも、だんだん色々やっていたらやっぱり和がいいなあと思ってね。
木材市場に行って木を仕入れてきて、友達の大工さんに言って棚を作ってもらったりしてました。始めのお店は元々表はレンガを張って、洋風にしていたもんだからだんだんばらばらになってきてね(笑)。

和の持つ味わいに惹かれる。独立するときに、ケーキ自体も他のお店と同じものをやりたくなかった。
僕ね、『ダニエル』(御影)さんに行った時にドキッとしたんですよね。なんか・・・ナチュラルなものが作りたかったから・・・。ケーキって三角であって四角であって・・・、カチッとした形がある。フランス菓子って若い時ってすごく憧れる。そのイメージがずっとあったから・・・。僕は、この『ダニエル』(御影)さんのお菓子とあと『豆の木』(堺)のお菓子、ほんとに影響を受けました。ナチュラルでデザートをそのままテイクアウトするようなイメージだった。

 


【素材の大切さ】
技術があっても素材には勝てない。フルーツ
1つとってもおいしいもんはおいしい!これに勝てるかって言うと、勝てない。ほんとにおいしい素材には・・・だから、有機なんかもすごく気になる。


素材にこだわりだすと、とめどない、いい素材の魅力には・・・・。でも、それをとことんやりだすと、経営が成り立たない。いい素材はやっぱり高いからね。それをとことん貫いて、やっておられるのは川端さん(ヴィラージュ川端)ですね。とても、まねは出来ません。他にもそんなお店ないでしょうね。

昔って作ったら売れる時代だった。だから、原価なんて30%もかければいい方だった。でも、今は違いますね。今僕がやっているお菓子は、地域の皆さんに喜んでいただいて、おいしいとほんとに言ってもらえるお菓子を作ろうと思って作っているんです。だから、他のお菓子屋さんに比べたら、かなり原価もかけていると思います。

・・・色んなお店、見に行ったりしますよ、この前は九州の熊本まで見に行きました。東京も行きますし、全国行きますね、日々勉強です。


【『石切りふわり』】
『石切ふわり』ブッセです。
石切さん(石切神社)に来られた方のお土産になるようなお菓子が出来ないかなあと思ってね。店の前に『藤地蔵』というお地蔵さんがあるんです。僕は、このお地蔵さんは、いつもお店を守ってくれていると思ってるんですけど、このお地蔵さんを眺めていて・・・、何かお菓子できないかなあ・・・と思っていたら、何か『ふわふわー』としたものが頭に浮かんだんです。このふわふわーとしたイメージを形に出来ないかなあと思って色々試作してみたんです。
試行錯誤しているうちに、思い描いていたイメージ通りのお菓子が出来てね。まだ、出来たばっかりのお菓子で、つい最近お店に並べ始めたばっかりなんですけどね。今は、すごくこのお菓子に、力を入れてます。


 

『心花(ときめき)』
お菓子を作るときはその時その時の思いが入りますね。僕は矢沢永吉がすごく好きなんですね。自分でお店したら絶対に
これをつけようと思っていたんです。ここに(白衣の肩の部分)『心花(ときめき)』って書いてあるんです。矢沢永吉の歌に『心花(ときめき)よ』というのがあって・・・この言葉がすごく好きで、店にも正面に掲げてますす。お菓子のパッケージにもこの名前をつけています。
フルーツのパウンドケーキのギフトなんですけど。
『心花』・・・(ときめき)きれいな言葉でしょ。


【足を向けて寝れない先輩】
モンナポレオンに入社した当時からずっとお世話になっている先輩がいるんです。13年〜14年一緒にお仕事させていただきました。今は独立されて、大阪の柏原のほうで『アンジュブラン』というお店をされている、
浦 勇夫さんとおっしゃる方なんですが、この方には、仕事やお菓子のことだけじゃない、人生の全てにおいて指導して頂きました。

僕が人生で一番影響を受けた方です。
この人の何に影響を受けたか・・・、この人自身の生きる姿勢です。とにかく何でも自分が率先してやる。先頭きって自分が見本を見せる。そして、下のものをどんどん引っ張って行ってくれる。とにかく面倒見がいい方なんです。僕が独立する時も本当にお世話になって・・・・。この人には、足を向けて寝られません。



【一日おきに人工透析・・・・自分の出来る範囲でやっていきたい】
腎臓が悪くなってしまって今人工透析をしているんですけど・・・、週に3回。月・水・金の朝9時半〜2時ごろまで。
・・・もっと早く知ってたらなぁ・・・って思いますけどね。自分が独立してから分かったんです。
若いときから、けっこう血圧は高かったんですね。腎臓は血圧から来るみたいです。後、ストレスも原因の1つ。若いから、こんなもんだと思ってずっと来たんです。普段は全然体調悪いことも無かったしね。肝臓や腎臓は沈黙の臓器だからね。

全く知らないまま、自分のお店をオープンさせて・・・、その時かなり無理したんですね。つぶれたお店の後だったから、何とかがんばらないといけないと思ってやってましたから。
1ヶ月くらいずっと徹夜してね。嫁さんと二人で夜中の3時ごろから仕込みに入って・・・、大変でしたよ。今になって、あの頃出していたメニューを見てみると、自分でも、よくこんなこと一人でやってたなあ・・・・と思うくらいです。それくらい過酷なことをしていました。
はじめは作るのは僕
1人だったから、嫁さんとあと販売員さんの3人だけ。・・・・はじめはきつかったですね。それで、無理してしまったんです。

 

その年のクリスマスの時に、親戚がけっこう手伝いに来てくれていたんです。でも、ケーキに関しては、自分で焼いて、生地を切ってクリームサンドして、デコレーションしないと誰も出来ない。
疲れたなあ・・・と思ってちょっと横になったらそこからなかなか起きれなかったんです。何でかなあ・・・どこか調子悪いんかなあ・・・と思いながらも必死になって起きて、朝までデコレーション作ってたんです。

それでクリスマスが無事終わって、正月になって、親戚が集まったんです。そこで、保険のセールスをやっている伯母に保険を勧められて、無理やり審査に連れて行かれたんですね。そしたら、「これは!すぐに病院に行きなさい!」って言われて。でも、だいじょうぶだろう・・って思っていたんです。

言われるまま近くの町医者に行ったら、「もうちょっと大きな病院に行きなさい!」って言われて・・・・。
それで、今は国立病院に通っているんですけど・・・、もう手遅れだって言われて、人工透析しかないって・・・。

だから、自分で出来ないことがたくさんあるんです。その分お店の従業員は多めに入れているんです。こうなった以上、どうしようもないから、前向きに考えて、自分で出来ることはやって、出来ないことは、任せようと割り切ってね。その方が、現場の人間も育つしね。
これも慣れたら、生活の一部。大丈夫ですよ。


【夢・・・目標】
今の目標・・・。初めの思いと変わらないですね。地域の人においしいもん食べてもらって、喜んでもらって・・・、それだけです。

昔はね、もっと店をたくさん増やして・・・とか、そんなことも考えていたんだけど、いざ、この店を立ち上げてみると、お店を大きくした分お客さんに対して、隅々までいき届いていないなあ・・・という事が目に付くんですね。
ここですらそんな事思うのに、これ以上店を増やしてどうするんだって思いますね。自分の目の届く範囲内でいいお店つくりをやっていきたいですね。今は逆に、あまり大きくしていきたくないなあって思います。


最終的には、山の上でひっそりと、こだわったお店をやりたいいですね。
1日に限定何人と言うようなお店を嫁さんと二人で出来たらいいなあって思いますね。

それと、今いる従業員の子達が一人でも多く独立してくれて、色んなところで活躍してほしいなあって思いますね。菓子職人の仕事はきついですからね。時間も長いし、その辺も変えていかないといけないなあと思いますね。
労働条件がきついと、いい人が集まらなくなってくるからね。同年代のほかの職業の子達が自分よりいい給料もらっていたりすると、色々思うもんね。そんなことでも、嫌になってきたりするからね。
かといって、多く給料あげたいけど・・・、なかなか・・、難しいところもある。
この
6月の末に慰安旅行に行ってきたんです。ディズニーランドにみんなでね。だから、今月まではしんどい(笑)。大きな自転車一生懸命漕がないといけないからね。必死になって漕いでますよ・・・(笑)。

 


取材を終えて・・・つぶやき・・・
 
とても、人当たりのよい雰囲気をお持ちの青谷さん。地域の方々においしいと喜んでいただけるお菓子を作りたいという思いを熱く語ってくださいました。お店にはそんな思いがあちらこちらにちりばめられています。

・・・大きなご病気をかかえながら・・・・どうしてここまで出来るんだろう。そう感じるほど、青谷さんのお店は本当に活気にあふれています。きっと青谷さんがお店の従業員の方々を思う気持ち、地域の方々を思う気持ち・・・それがしっかり伝わっているんだと思います。
ご自身がものすごくがんばり屋さんで、人にない痛みを持たれていることで、逆にこんなにも人に優しくなれるのかなあ・・・と感じました。よく、『人の痛みの分かる人間にならないといけない・・・』と言われますが、青谷さんとお話させていただいて、つくづくそう感じました。たくさんのことを経験し、楽しいことも苦しいことも色々あったから、きっと今の青谷さんがおられるんだろうなあと。

インターネットで青谷さんのお店『シェ・アオタニ』を検索していた時、たまたま、地域の方の書き込みのページを見つけました。そこには、なんと前のお店をオープンさせたときからの『シェ・アオタニ』の様子が事細かに綴られていました。
〜以前あったケーキ屋さんが、流行らなくなって、廃業し、その後にケーキショップがオープンした。夫婦で始めたお店は、どんどん従業員が増え、活気に満ち溢れている。そして、新しいお店がオープンされた・・・〜
シェ・アオタニのこれまでの様子が事細かに。

そして最後には『シェ・アオタニがんばれ!』と言うメッセージが・・・・。本当に地域の人々に愛されているお店なんだ・・・・と暖かい気持ちになりました。

 


 
おためしスペシャルセット
石切ふわりアイス
夢ちーず

HOME厳選パティシエじゅずつなぎ対談集スイーツ情報ステーションお取寄せスイーツ

厳選パティシエじゅずつなぎは、(株)左近クリエイションが運営するサイトです。
このホームページに掲載された内容を弊社に無断で転用する事を禁じます。

Copyright(c)2003-2006 Sakon Creation Co., ltd. All rights reserved