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パティシエのクチコミ!


厳選パティシエじゅずつなぎ

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No.28
Co-ki.  大阪エリア
 
【お店】ケーク・ド・コーキ
【パティシエ】池畠 幸喜

【住所】 543-0002
大阪府
大阪市天王寺区上汐6-3-2-101

【TEL&FAX】06-6770-7120

【営業時間】平日10:10〜20:00
       日祝日10:10〜19:19
【定休日】不定休

【パティシエ・プロフィール】
1962年 生まれ
1980 辻調理師専門学校
1981 パティシエ・ドゥ・ミッシェル
1985 ホテルプラザ
1986 ホテルニューオータニ
1996 ロンドンティールーム
1999 ケーク・ド・コーキ 独立

【パティシエ】 池畠 幸喜


和食の職人を目指して
僕はですね、この世界に入ったきっかけは、本当は和食の職人さんになりたかったんです。
中学を出る時には決めていたんです。小学校高学年か中学校始めぐらいに『前略、お袋様』っていう萩原健一さんが出ていた料亭の料理人のドラマがあったんです。それを見てあこがれてね。単純なんで・・・。
それに料理屋っていったら食事させてもらえるでしょう。くいっぱぐれがない(笑)。
僕は、5歳の時に父親が他界しましてそれからずっと母親1人で育ててもらっていたんで、早く自立したかったというのもありましたね。

兄が大阪に居たので、中学校を出るときにその話をしたんですよ。就職したいと・・・。その時兄にちょっと待てと止められて・・・とりあえず高校へは行ったらどうかと・・・。
兄は8歳と10歳上、二人いるんですけどね。別に3年待って高校終わってから気持ちが変わらなかったら行けばいい。いろんな意味で高校にはいったほうがいいという個人的な兄の考え方もあったと思います。結局僕にとっては、高校時代は人生の中ですごく良い時間になりました。

 


高校時代
高校時代、勉強は全くしなかったですね(笑)。
小学校6年から高校卒業するまでずっとうちの二番目の兄貴が行っていた近所の酒屋にアルバイトに行っていたんですよ。そのアルバイトをしながら何かクラブをしたかったんですよね。
団体競技はまずだめじゃないですか。団体練習があるから・・・。個人的なもので何かないかなぁと・・・それで弓道を見つけたんですよ。弓道も団体戦があるんですが基本的には個人なんですよ。これだったら、長時間の練習は出来なくても短時間集中してやって、それから帰ってアルバイトをして・・・。

弓道はまずお金がかからないんですよ。試合だって黒の学生ズボンにTシャツで出れるんですよ。高校3年間で弓道を通じていろんな人にめぐり合えた・・・友達関係、先輩、幸い全国大会も出れたんで・・・。
練習は、朝やるんです。早く行って・・・。仲間も試合前になったら団体戦の試合の練習を朝やってくれるんです。僕がアルバイトしているっていうこと理解してくれていたんで、みんなが朝来て・・・。


こんなことが後々にこういう世界に入ったときに助けられましたね。この世界は縦社会なんですが、あまり違和感がなかった。クラブ活動の中で先輩に対して敬語で話すのは当たり前だし、先輩より早く来て道場をきれいに掃除するのも当たり前やし・・・、それはこういう職人の世界の人も一緒ですものね。礼儀作法というのは大事だと思いますね。



【フランス料理屋へアルバイト・・・すごく衝撃的でした
高校卒業後、料理人になりたいことを兄に相談したら、お寿司の職人さんという兄の友達が「一度専門学校へ行ったらどう?学校でいろんな就職先を斡旋してくれるから選択肢が広がるんじゃないか?」ってアドバイスをしてくれて・・・それで、兄が専門学校に入れてくれたんです。
当時でもなかなか高額なお金でした。今だったら、学費が1年間で
200万円位掛かります。その時に兄に学費を全部出してもらったんです。それで、せめて自分の身の回りの分は自分で稼がないとと思ってアルバイトへ行ったんです。その時、和食を目指すことは自分で決めていたので、逆にこの先経験することがないだろうと思ってフランス料理のレストランにアルバイトに行ったんですよ。今もミナミにある、大阪では老舗です。


ある時レストランの営業時間が終わった後、皆さんが厨房ですごく楽しそうになにかを作っていたんですよ。何を作っているのかなぁと思って見てみたら次の日のデザートを作っていたんですよ。その時に食べさせてもらったデザートのケーキがものすごくおいしかったんです。
それは『シャルロット・オ・ポワール』っていう洋ナシを使ったお菓子なんです。すごくトラディショナルなお菓子なんですけれど・・・、洋ナシのムース、あるいはババロアに洋ナシをのせて、やわらかいビスケット状のものをまわりに巻いてラズベリーのソースをかけて食べてもらうデザートだったんですけれど・・・、それをね、ちょっと食べさせてもら
ったんですよ。すごい衝撃的でしたね。


僕は高知県の田舎で生まれ育っているんですよ。それこそ町にはたった1軒だけ和菓子とケーキを半々で出しているような・・・、田舎によくありがちなお店があるだけ。そういう環境でしたから今の、例えば大阪みたいに日常的にいろんなケーキが食べられる環境ではなかったんです。
このお店で食べさせてもらったデザートはもう異次元の世界でした。「なんだこれは!」と言う感じ。そこでいろんなデザートを少しずつ少しずつ食べさせてもらっているうちに・・・。お菓子の世界にどんどん傾いていったんですよね。


そこでは半年位いました。それでお菓子にすごく興味を持ったんです。このレストランに残っていいよと言われたんですよ。でも自分は専門店に行って勉強したかったので残りませんでした。



 パティシエ・ドゥ・ミシェル
学校卒業後、兵庫県の 芦屋市 にあった『パティシエ・ドゥ・ミシェル』というお菓子屋に就職しました。阿部 忠二氏がされていました。

私自身もいろいろ食べ歩きをして、このお店にいきたいなぁと思っていたら、たまたま募集があったんで、お願いに行きました。今でも覚えているんですけれど、阿部シェフのところに面接に行ったときに最初の第一声がいきなり「やめとけ」だったんです・・・。こんにちはとか、そんなのなしにいきなり・・・。「お菓子やるよりも料理やれよ、料理を。料理のほうがいいぞ。」って言われたんですよ。目が点になりましたね。でも、是非やらせてくださいといって働かせていただきました。
でも・・・・入ってすぐ思いましたけどね・・・、やめとけばよかったって・・・(笑)

その当時、お店には「
anan」とか「JJ」とかファッション関係の女性雑誌とか、あるいはテレビ局の取材がよくあったんですよ。今の言葉で言ったらカリスマパティシエのお店っていうんですか・・・とにかくお客さんが途切れないんです。当時としては珍しくサロンドテがあって、デザートも出していたんですよ。あったかいデザート、冷たいデザートというふうに・・・。

僕の最初の配属がデザートの担当だったんですよ。デザートの担当と言っても一日中皿洗いなんですけどね(笑)。あとはデザートの下準備です。とにかく忙しすぎて食事する暇がないんですよ。お弁当をカウンターの下に座ってオーダーが途切れたときに食べてましたね。今だったら考えられないですよね、そういう環境っていうのは。
とにかく忙しかった。毎朝、
6時ごろ入って、終わるのが、大体11時半前後でしたね。ここには丸4年いました。そこでは今でもお付き合いさせて頂いているいい先輩にいろいろめぐり逢えました。今ホテルニューオータニ大阪のシェフをされている大谷 和雄氏も一緒にいたんですよ。



【阿部シェフ・・・本当にいろんな体験をさせて頂きました】
朝日放送の2時からの生の奥様番組があったんですよ、1時間の・・・。それに1年間親方(阿部シェフ)が出ることになったんですよ。それで前半の半年間を大谷チーフが助手で行かれて・・・、其の後残りの半年間の助手を私が連れて行ってもらったんですよね。

テレビ局はですね、ライトが当たっている時とライトが当たっていない時の世界の差っていうのが、こうも違うものかと・・・、いろんな意味でね。あの人がこうなのかとかね。
阿部シェフの相手をされた方が上沼恵美子さんですよ。やっぱりプロって言うのはすごいなぁと思いましたね。生放送なので1から10まで順番に流れの中で用意していくんですけれど、その時になったら例えば5分の持ち時間が半分しかないということがあるんですよ。そうしたら3番6番7番を飛ばすとかね・・・撮りなおしはないので・・・。本当にいろんな勉強をさせていただきましたね。

テレビ局のライトに負けないディスプレイを作る工夫もしました。同じお菓子であっても、ゼラチンの強度を強くして、ライトに負けない、テレビ向け用のものを。そういうものを阿部シェフに色々教えていただけて、ものすごく勉強になりましたね。メニューはシェフが出してくれるんですけれど、それこそマンツーマンでいろいろ教えていただいて、なおかつ普段見れないような世界を見させていただいて・・・。
その時20歳か21歳の頃だと思います。いろんな先輩がいるのにも関わらず僕を助手にしてくださった・・・本当に感謝しています。普通はあり得ないですよね。一発の撮りなおしなしですから、やっぱりそこそこ経験がある方をと思うんですけどね・・・。入って3年目ぐらいだと思います。


阿部シェフには本当にいろんな経験させていただきましたね。母校の辻調理師学校の外来の講師で行かれる時も「辻は誰がいた?」って言われて・・・・「お前一緒に行こう」って、なんか遊びに行くみたいに気軽に連れて行ってくださった。それでついて行ったら講習の助手ですよ。何もできないですよ、当然・・・。入って半年ぐらいですから・・・。今から思えばすごく有難い話ですね。何もできないんですけれど、よくくっついて行きましたね。


阿倍シェフはですね、なんて言うんでしょう・・・、『静』ですよ。感情の起伏がそんなにないですね。それこそ本当に怒られたっていうのが1年に何回あったかなぁっていう感じの方ですね。

 


【人生で一番の失敗・・・阿部シェフのあたたかさ】
すごく想い出になっていることがあります・・・・。ある時、阿部シェフが試作のお菓子をご自分で焼いておられたんです。当時はシェフ自身が直接1から10まで一つのお菓子をつくるっていうことは、ほとんどされていなかったです。我々に指示することがほとんどでした。よっぽどのことがない限り。

その時は試作の依頼をされていたと思うんですけれど、阿部チーフが最初から誰にも触らせなかったんですよ、パイを焼き上げるまで・・・、焼き菓子だったんですけれどね。焼きあがったものを専用の箱に入れて置いてあったんです。それを阿部チーフが外出している間に・・・出すときに手を滑らせて落としてしまったんですよ・・・。もうその時の職場の空気が・・・、ピーンっというか・・・もうみんな声も出ないんですよ。そこに入っているの知っているんで・・・。
当然パイだったんで・・・粉々ですよ・・・。「何をしてくれたんだ・・・、大概のことだったら何とかできるけど・・・・それはシェフは誰にも触らせなかったんやで・・・」って先輩方に言われて・・・・。もう今までの人生の中で1番の、なんとも言いようのない失敗ですよね・・・。

阿倍シェフが帰ってきたらすぐ走っていきましたね、車が来たのが分かったんで・・・。これでクビになるかな・・・でも仕方ないなと思いました。
殴られることは覚悟して行ったんですけれど・・・・それがね、笑い出すんですよ・・・。ケラケラっと笑って、「おまえ・・・先輩とみんなで食ったんだろう、それでおまえが壊したって言えっていわれたんじゃないのか、先輩に」ってね・・・。僕、それを聞いたときに涙出てきたんですよ。・・・・・ちょっと言えないですよね。その優しさ、大きさ・・・、職人とかじゃなくてね、一人の人間としてね、言えないですよね・・・。
職場に入ってきても・・・先輩もみんなヒヤヒヤしていますよね。そこへケラケラって笑って「みんなで食ったんじゃないのか」って・・・。それがね、一つの・・・なんていうんですかね・・・財産です。


だから今度逆に僕が、この小さいながらもお店を持って、何も知らない若い子たちと一緒にやって、同じ時間を共有していく中で、このことをよく思い出します。緊張と緩和のバランス・・・・。やっぱり阿倍チーフみたいには僕はなれないんですよ、やっぱりねぇ・・・人間の大きさ、度量の太さっていうのはねぇ、逆立ちしてもねぇ・・・。


阿部チーフにはいろんなこと本当に、お菓子のこともそうだし、それ以外のことのいろんなことを教えていただいて・・・すごく有意義な4年間でした。



【ホテルプラザ時代】
それで4年が経った頃、一回ホテルと言うものを経験してみたいなぁと漠然と思いましてね。阿部チーフのところにお願いに行ったんですよ。まだ4年ぐらいでね・・・。今考えると無謀ですよね、無知というか・・・。
でも阿部チーフは「分かった。何か良い話があれば見ておくから」と言ってくださって。都ホテルのお話もあったんですが、結局プラザにお世話になることになりました。

プラザは1年でしたけれど、厳しかったですね。礼儀作法というかね、もう一回叩き直されました。まずあいさつですよね。

安井料理長がよくおっしゃっていたのが職人である前に社会人であれと・・・。挨拶1つ出来ない、掃除一つ出来ない、社会人として当たり前のことが出来ないような人間がケーキ作ってもいいものなんかできないと。
うちは幹部候補の仕官学校だ、とよく仰っていましたね。シェフになるリーダーになるものを育てるところだ。だから当然のことを要求する。お菓子が出来るのは当たり前の話。それよりも衛生状態、整理整頓を当然のように出来ないといけない。これは本当に叩き込まれましたね。掃除するときには裸足なんですよ。床を磨くときには・・・。その意味はね、自分が裸足で歩いても大丈夫なようにしておけと・・・。



ホテルニューオータニ
プラザは1年間でした。ちょうどその時にホテルニューオータニが出来るということで、先輩の大谷チーフがシェフとして動くことになったんですよ。それで大谷チーフが何人か自分の使い易い子を連れて行くということで声を掛けていただいた。大阪のOBPの近くのニューオータニです。ここもものすごく忙しかったです。

街場のお店とホテルとのギャップは・・・・作る量ですね。はじめは、びっくりしましたね。
宴会場があるでしょう。何百名分のデザートとか作るんです。ものすごく大きいんですよ。仕込みの量で最初戸惑いましたね。あと広さ。材料をいろいろ集めてくるだけで疲れるんですよ、広くて・・・。いろんなところへ走らなきゃいけないんですよね。
お菓子を作ることに関してはそれほどの違いはありませんでした。ただそれまで触っていなかった工芸菓子を勉強させてもらいましたね。とにかく忙しかったんですよ。まだバブル時代でしたから・・・。ほとんど泊り込みでしたね。


ニューオータニ時代は大谷シェフの下で働いていました。大谷シェフは本当にお菓子のことを24時間考えているような人ですね。研究熱心で・・・、常に考えていますね。
ニューオータニには10年弱いました。いろいろ国際的な会議であるとかレセプション関係とか宴会場が広かったのでそういう政府関係、国賓の方々のパーティーもさせてもらって、いろんな勉強になりましたね。国賓クラスになってきたら気を使いましたね。セキュリティーもきつくなってくるんですよ。警察関係も入ってくるでしょう。そういう意味では洋菓子の街の専門店ではなかなか経験できないことが色々経験できましたね。


独立に向けて・・・『ロンドンティールーム』へ
その後、堂島にある紅茶専門店『ロンドンティールーム』へ移りました。独立を考えて行きました。元々、将来的には自分でやってみたいという漠然とした思いがあったんです。

ここではビジネスとしての難しさを勉強させてもらいましたね。ホテルとは違うものの考え方の集団というんですかね、同じ目的意識を持つという事が、なかなか難しいなということを学びました。



僕はものすごく恵まれている
僕が小学校6年生から高校を卒業するまでずっとアルバイトに行っていた酒屋のご主人が、 高知市 のほうで税理士事務所をやられているんですよ。(独立を考えたとき、)その人のところへ相談に行ったんですよ。
当然資金的なこととか現実問題として直面しますから・・・・、一気にそれだけのお金をそろえることもできないし・・・。そうしたら即答でね、「やりなさい。」と・・・、「保証人になってあげるから。」と・・・。

本当に人に助けられてばっかりなんですけどね。なかなかね、このご時勢に保証人になっていただけないです。家内にもその話をして、そうしたら家内も協力するということで・・・、なんとかその方向で絞って決めたんですけどね。なかなかゼロからものを始めるということは本当に大変ですよね・・・。もうしたくないなと思うくらいしんどかったですね。
でも僕を信じてくれて保証人になってくださった方、或いは家内であるとか、家内の両親とか、周りの人のお蔭でお店を持つことができたんで・・・・。
オープンの時なんかでもみんなに助けていただいて・・・、木山さん(ジョエル)には本当にお世話になりましたね。木山さんのところでいろいろ準備もさせてもらって・・・、僕はものすごく恵まれていたんですよ。本当に周りの人に・・・。幸せですね・・・・。

・・・・恩師がよく言われたんですけれど、真正面から取り組めと・・・。器用な人もいれば不器用な人もいる、一回で解る人もいれば百回やらないと解らない人もいてるけれども、結局正面から向き合っていれば、おのずと誰かが手助けなり導いてくれると・・・。

 


独立・・・
大変だったことは・・・場所選びからですよね。
僕は当時
奈良市 に住んでいたので奈良でしようかと思っていたんです。家から近いところで・・・でもこういったお店でこういったお菓子を売りたいというイメージを持ちながら色んな物件を見て、結局ここに辿り着いたんですよ。
今はなくなったんですけれど、並木道があってすごくロケーション良かったんですよ。この場所はロンドンティールームの契約が終わるぐらいに丁度出会えたんです。

最初は予算ですよね。この位の小さなお店でも話を聞くと三千万円前後・・・。それをとりあえずその時に揃えないといけないんです。
洋菓子店というのは機械が多いので飲食の中でも設備投資が掛かるほうだと言われていますね。一個ずつが高額なんで・・・。最初のお金の工面・・・今まで我々みたいにずーっと職人できた人間が外の世界をいかに知らないか・・・、お金の借り方も知らないんですよ。それも、いろんな人に教えてもらって・・・

 


風邪をひかなくなった
独立してからは、がんばらないと・・・・と今までとは別の意味合いの責任感が発生しましたね。後に下がれないという・・・。
まず風邪ひかなくなりましたね、独立してから。常に緊張状態ですよ。
独立当時は勤めていた頃にはないような責任感とプレッシャーを感じましたね。それは今でもありますね。いろいろなことに気を使うようになりましたよ。

体の体調管理というのがね・・・、頭痛いから今日休もうかな、とか・・・そんなことなかなかできないですから。いろんな人の顔が浮かびますよね・・・、保証人の顔とか、チラチラ・・・。

99年の5月オープンですから今で
6年になりますね。まだまだ毎日勉強です。



お客さんの喜んだ顔・・・やっぱり嬉しい
お店をやってよかったことは、やっぱり、ホテル時代とは違って、直にお客さんに喜んでもらった声とか顔とが見れることですね。それはお客さんの社交辞令も入っているかも分かんないんですけれど、「子供がここのケーキしか食べない」とか言われたら・・・、嬉しいなと思います。やってよかったなぁと・・・。

スタッフにとってこういう小さい店の良さって言うのは、ほとんどマンツーマンに近い状態で指導してもらえることですね。僕自身マンツーマンに近い形で見ていけるんで、あれがうまくなったな、これがうまくなったなとか見てたら・・・やっぱり嬉しいですよね。
ホテル時代というのはね、そういう見方しなかったんですよ。
20名くらいいますから・・・20分の1位しか見ないですよ。いろんなことが日々流れていくでしょう。任してしまうんですよ、中間の人に・・・。だから、ホテルにいた頃は、入って2年ぐらいの人は直接真剣には見なかったですよね、今立ち返ってみたら・・・。それはあまり良くない事なんですけれど・・・。そういう面ではこういう店ならではの良さっていうのがありますよね。



自分に対する時間の投資・・・無駄な時間を過ごす事が一番もったいない
大したことは僕自身も出来ないんですけれど・・・一応面接のときにこんな風に言っているんですよ。

ここで2年いるか3年いるか4年か5年かは分からないけれど、自分のこれからの長い人生の中で振り返ったときにここに来て過ごした時間を、『良かったな』と思えたら、お互いが幸せだ、僕も幸せを感じる・・・。
ただ日々の中では嫌な事もあるだろうし、叱られることもある。やらなければならないことに追われることもある。
いろんなことがあるけれど・・・後で振り返ったときに無駄な時間過ごさないで良かったと思えたらいいなあと・・・・

僕が勝手に思うんですけどね。ただスタッフにも言っているんですけれど、一回しかない人生ですから、やっぱり中途半端な気持ちでやっていくものでもない・・・。無駄な時間を過ごすことが一番もったいない。
がんばるんだったらがんばる・・・、修行の時代は、自分に対しての時間の投資だと思うんですね。その自分に対する時間の投資を出来ないからみんな辞めていくんですよ・・・。

だからやっぱり修行の間は、お金(給料)を追いかけて仕事を選んではだめですね。お金を追いかけだしたらそれだけになってしまう。それも一つの向上心かもわからないんですけれど・・・。
ある程度自分が確立された人間がするのであれば、ヘッドハンティング・・・・話は分かるけれどもやっぱり経験半ばではね。土台が出来ていないのにいろいろ動くということは結局10年経って振り返ったときに自分に何が残ったんだと言ったら・・・かなりきついことになると思いますね。

 


・・・目標
夢はね・・・街中じゃなくてね、緑がたくさんあるような一軒家で僕が作ったデザートとかをゆっくりたべていただけるような・・・自分自身もゆっくりとしていきたいなという・・・。

ゆっくりね、自然の鳥の声を聞きながらパイを焼いたりとかね、おいしいお茶を飲みながら出来立てのケーキを食べてもらって、子供の話し声がしたりとかね・・・、最終的にはそういうお店をやりたいなぁと思っています。

後は、願わくば、今ウチに来てくれた子が将来自分の店を一人でもやってくれたらと楽しみにしています。そういうところへお宅訪問じゃないですけれど行って・・・、それこそオープンの時には洗い物でもしてあげて・・・。

 


【取材を終えて・・・つぶやき】

取材でのお話しの中でシェフのお住まいがなんと私の家から車で10分位のところだということが判明し、ものすごく親近感が沸いてしまいました。シェフのお子様が私の母校の小学校に通われているとお聞きしただならぬ縁を感じました。

シェフのお話の中で「修行時代は自分への時間の投資をしているんだ」とおっしゃっていた言葉がとても印象に残っています。私自身、自分への時間の投資が出来ているんだろうか・・・・ふと考えてしまいました。

「・・・僕は本当に恵まれているんです・・・・幸せです。」そう語れるシェフのお話しの端々には誠実でまじめなお人柄が感じられました。

私が取材をさせていただいた直後にもテレビ局からの取材依頼があったご様子・・・・。そちらの取材でも必要とのことでお借りしていたお写真をあわててお返しにあがりました。

注目されるお店・・・・でも、あたたかみのある落ち着いた其のたたずまいは、シェフのお人柄そのものです。

 


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