| 【お店】パティシエ エイジ・ニッタ |
| 【パティシエ】新田 英資 |
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【住所】 〒663-8032
兵庫県西宮市高木西町23-5 |
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【TEL&FAX】0798-64-0808 |
| 【営業時間】10:00〜19:00 |
| 【定休日】火曜日(祝日の場合は翌日) |
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| 【パティシエ・プロフィール】 |
| 1967年 生まれ |
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1985 |
辻製菓専門学校 |
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1986 |
ホテルニューオータニ大阪 入社 |
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2005 |
パティシエ エイジ・ニッタ 独立 |
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【主な受賞暦】 |
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1996 |
フランスの食材を使ったプロのための全国コンクール『ソペクサ』入賞 |
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1997 |
ルクサルド グランプレミオ 優勝 |
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1998 |
内海林技術コンクール 銅賞 |
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1999 |
東日本洋菓子作品展味と技のピエスモンテ大会 会長賞 |
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2000 |
西日本洋菓子コンテスト 最優秀賞 |
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2001 |
食博覧会大阪 農林水産大臣賞 |
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2002 |
TVチャンピオン『ケーキ職人選手権』 優勝 |
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【パティシエ】 新田 英資 |
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【子供の頃は焼きたてのパン屋さんになりたかった】
ちょうど小学校ぐらいの頃・・・・焼きたてのパン屋さんみたいなものが出来始めた頃で、それまでは店頭販売で袋に入ったパンだったのが、トレイにのって並べてある。今頃は当たり前になっているけれどその当時はまだ珍しかった。そういうのにすごく興味があって、自分も最初パン屋さんになりたいなぁと子供の頃に思っていたんですよね。元々そういう絵を描いたり、物を作ったりということが得意でしたね。
僕らが子供の頃はケーキなんか年に1回か2回、誕生日とかクリスマスのときにしか買ってもらえない。一般に普及していないものだったんですけれど・・・、その分逆にそういうのに
憧れるみたいなところもありましたね。
具体的にこの道を目指したのは、高校を卒業するときに調理師学校へ行こうと進路をきめた時ですね。ものを作ったりとか手に職をつける仕事をやってみたいという気持ちがありました。製菓学校では、和菓子、洋菓子、パン、中華菓子など色々ありました。学生時代は本当に何もかも新鮮でしたね。とにかく毎日学校のカリキュラムが楽しかったです。
その当時、ホテルプラザがあって、関西ではケーキがすごいことで有名でした。父親がプラザの近くで仕事をしていたのでチーズケーキ・・・たまに買って帰ってきてくれました。そこのチーズケーキをすごくおいしいなと思っていましたね。ホテルプラザの安井シェフと阿部シェフは本当に有名でした。その当時は学生だったので、このお二方はすごい方々だなぁと思っていました。学校の方にも講師として招かれていて、お二方の授業を受けたりしました。当時は本当に、かけ離れた存在でした。
学校を卒業した後すぐ『ホテルニューオータニ』に就職しました。最初は街のお菓子屋さんというか・・・その中でも『ミッシェル』へ行きたいなという希望があったんです。その当時よく話題に上っていてきれいなケーキを作られていたんですよね。デザート系のお菓子もやられていた。そこのシェフが阿部シェフということで憧れていたんです。雑誌などにもたくさん出られていましたね。 |
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『ミッシェル』で阿部シェフの下で働きたいというのがあったんですけれど・・・、いざ就職をきめる時にはお店がなくなってしまっていた。それで第2希望だったホテルへ進む道を考えました。ホテルの仕事はウエディングケーキがあったり焼き菓子があったりデザートがあったりと、いろんなことが出来るイメージがありました。だからホテルに行きたかったですね。一番はやはり『ミッシェル』でしたけど。
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【ホテルニューオータニへ就職】
ちょうど、ホテルニューオータニ大阪のニューオープンがあるということで募集がありました。一度試験を受けてみないかと誘われて・・・・それで運よく受かったんです。
5月がオープンでしたのでそれまで本社の東京のほうに研修に行かせていただきました。大谷シェフ(ホテルニューオータニ製菓長)が先に行かれていました。僕は新入社員で1ヶ月遅れぐらいで東京にいきました。オープンからずっと大谷シェフと一緒にお仕事させていただいて・・・・本当にお世話になりました。ニューオータニには18年いました。
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ニューオータニに初めて行った時、とにかく大きくて広い職場だな、と思いましたね。
ホテルでの仕事内容は、本当に幅広いんです。まず、テイクアウトのケーキ作り・・・仕上げや明後日の仕込みをしなくてはいけない。そして、レセプションとあと宴会、婚礼用のデザートを作る。それに、アイスクリームとかシャーベットも作っていく。その中でのローティション。
最初の頃、宴会のウエディングケーキを各婚礼会場の部屋に置いていくんです。その当時バブル時期、ちょうど好景気の時で、土日週末は1日、宴会で22件まで・・・毎週婚礼が入っていたんです。大体土日で合わせると40件以上入るんですよね・・・。それにあわせてウエディングケーキを運ぶんです・・・。それがかなり大変なんですよ。重たいですし時間的にもかなり切羽詰ってますから。

披露宴が終わると部屋を入れ替えて次のセッティングをする。後が詰まってますから1日中模様替えをやっているような感じでした。ウエディングケーキは何回も使いまわしです。そのカット面だけを作り変えるんです。ウエディングケーキ本体はパスティヤージュという砂糖で出来ているのでちょっとあたっただけでも割れたりするんですね。それをまた次の婚礼の時間までに修正しないといけないんで・・・。そのへんがすごく大変だったなあ・・・・と言う思い出があります。
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【大谷シェフの下で・・・】
仕事に関しては、入ってすぐは通常でしたら洗い物とかそういうのばかりかなと思っていたんですけれど、当初大阪の要員ということでの採用でしたので最初からケーキ作りに関わらせてもらいましたね。入社してすぐ研修みたいな形で東京での大谷シェフのケーキ作りのお手伝いもさせてもらいました。
当時東京のニューオータニでは・・・、クラシックというかオーソドックスなケーキを作られていたんですね。当時大谷シェフは関西のお菓子の最先端であるホテルプラザから抜擢されてホテルニューオータニ大阪の製菓長になられた方でしたのですごくきれいなお菓子を作られていてました。そのお菓子を東京でも作られていましたから、全然違うんですよ。大谷シェフの作られたお菓子と東京のお菓子が・・・。大谷シェフはすごいシェフだなって思いましたね。当時の東京のニューオータニよりずっと先をいっていると思いました。その当時大谷シェフも若かったんですよ、32歳ぐらいだと思います。

大谷シェフだったから僕は長い間ニューオータニに居れたと思います。大谷シェフじゃなかったらもっと早くに辞めていたと思いますね。今でこそ年齢も重ねて大分丸みをおびられていますけれど、当時は仕事に関してはかなり厳しい方でしたんで・・・、ホントに恐かったです。シェフの下で一から全てを学んでいきました。技術的なことはもちろん、シェフの素材に対するこだわり、味に対するこだわり・・・、すべてに磨きがかかっているんです。何回も何回も試行錯誤を繰り返して・・・・磨きをかけてピカピカにしていく。僕なんかがおいしいなあと思っていても、大谷シェフがご自分の中で納得が行かなかったら何度でもやり直しされる。ご自分が持たれているイメージに近づくまで妥協を許さない。こういうもの作りに対する姿勢を一番学びました。
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【コンテスト】
最初はそういう工芸菓子とかコンクールに出る方が先輩にあまりいなかったんですね。入社してから、27,8歳ぐらいのときに初めてコンクールに興味を持ちまして・・・。それまでも雑誌とかは見ていたんですけれど、全く・・・。
すごいなぁ・・・という世界でこんなことが出来る人がいるんだ・・・・と見ていたんですけれど、自分でもやってみたいなぁと思い始めて・・・。ある程度仕事も一通り覚えたし、せっかくこういう恵まれたホテルの環境にいて、仕事が終わってから自由に材料を使って練習が出来るので・・・。宴会のディスプレイの勉強にもなりますし・・・それでやりだしたんです。
入賞したのは、大体28,9歳の頃から30代前半にかけてがほとんどです。一番最初に頂いたものはフランス食品振興会『ソペクサ』で、決勝までいって入賞しました。それが初めて出したコンテストだったので訳が分からずに・・・。
すごく厳しい書類審査がありまして予選大会の一次審査が関西であって、そこで勝ち残ったら次は東京で本戦・・・。運よく東京まで行けまして・・・。全然訳もわからない状態、初めての経験でいい勉強になりました。
関西に限らず関東などのいろんなパティシエと知り合いになれて、同年代の人たちがこれだけがんばっているのだからもっともっと自分はがんばらなきゃならない・・・とそこでいろんな刺激を受けましたね。
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これがきっかけでコンテストに挑戦するようになりました。28歳から35,6歳まで年に1,2回は出品していました。
大阪、東京を往復していましたよ。
よく工芸菓子を持って東京まで行きました。
仕事が終わってから最後の仕上げまでずっと夜中やるんですよ。それが終わったら夜中から会社の車を借りて東京まで運ぶんですね。それで朝方に着いて・・・。何回も往復した記憶があります。持って行ってまた帰ってきて・・・、また夜中撤去しに行くんです。
・・・コンテストはぼくの中では『発表会』という感じです。どういう評価をもらえるのかなという・・・。日常の仕事では自分が今どういうレベルなのかわからない。そこにいくことによっていろんな人の批評も聞けるし他の参加者のレベルもわかるし、また全国から集まるわけですからいろんな情報、いろんな作品を見ることが出来る。とても勉強になりました。
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【作品のイメージつくり】
作品はもちろん仕事をやりながらの平行作業でやっているんですが、かなり真剣に集中して取り組まないとできません。いろんな組み合わせを考えてアイデアを持たないとそういうところで勝ち抜けないですから・・・。
アイデアを考えたりするのが短期間であってもすごく勉強になりましたね。作品を作り上げていくまでの過程がすごく勉強になりました。
工芸菓子のイメージ作りは・・・街中を歩いていてショウウィンドウを見たり・・・、女性物のファッション関係や装飾品関係の雑誌を見てデザインや色の感覚を磨く参考にしたり・・・。それと会社のほうで華道部、生け花もやっていました。
色彩とバランスですよね。それはニューオータニの社員向けのいろんなクラブの中の華道部でした。男性は僕だけでした。2年ぐらいしていました。未生流でした。いい勉強になりましたよ。
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|  世界大会というのはチョコレートとかあめ細工の大きい作品と焼き菓子などとお菓子の組み合わせ、それがソペクサとかクープドモンドです。大きな工芸菓子を作るのにホテルの環境はすごく有利でしたね。ホテル自体はそれをやれやれという感じは全然なかったですが、結果を出していって徐々に認めてもらえました。
[写真右;ホテルウェディングケーキ(クロカンブッシュ)]
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写真左から; |
ホテルディスプレイ作品
2001年 食博覧会(作品イメージ:USJ)/農林水産大臣賞
1999年 東日本洋菓子作品展(作品イメージ:コンピュータ2000年問題)
/味とピエスモンテ大会 会長賞
1996年 内海林技術コンクール作品
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|  【TVチャンピオンでの優勝】
テレビチャンピオンでの優勝は、ホテル経由での反応をかなり頂きました。企業などの百貨店からも反響がありました。
出場依頼はとても急で、連絡頂いてからも1週間2週間ぐらいしか準備期間がないんです。テーマが決まるのもほんの1週間前とかで出場するんです。それで最終ラウンドまで決めておかないといけない。
その時は勝算は全くなかったですね。1ラウンド、2ラウンドは各テーマがあったんですね。最初は贈り物の宝石でした。そして決勝ラウンドはいちごをいろんな使い方をしたんです。とにかく『味の面をしっかりすれば』としか考えていなかったですね。
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| 【独立】
18年間の間に独立については漠然とした夢はありましたね。
ここ数年、街のお菓子屋さんのレベルがどんどん上がってきています。逆に当時は1番の舞台だったホテルというものが逆転してきたんですね。外に出て自分の世界を表現していくことに興味が出てきた。それは30代の頃、コンクールなどで外との繋がりが広がっていろんな人と話をして刺激を受けてからだと思います。
力のあるシェフがどんどん自分のお店を持っていき、そのお店がすごく話題になるようになったのはここ何年かですよね。あれだけ一般誌にもパティシエブームとかが書かれ、シェフの名前のブランドで百貨店のイベントを開いたりとか・・・昔は考えられないことでしたよ。
独立に関して大谷シェフにきちんと話したのは1年前位なんですけれど、その前からずっとちょこちょこと相談にのって頂いていました。逆にそっちのほうがいいよと力になって頂きました。
お店をオープンしてから・・・・焼き菓子関係など、かなりご好評を頂いていますね。この地域は日常の生活の中にケーキが入っているような感覚がありますね。それはうれしい誤算ですね。お店はほぼイメージ通りですね。
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| 【・・・こだわり】
焼き菓子関係が・・・素朴なものですけれど、ちょっと違うような・・・と感じてもらえるようなお菓子を作っていきたい。焼き菓子は材料の素材の味のごまかしがきかない。そういうものを研究していきたい。
あと一般的に売っているようなショートケーキやシュークリームとかそういうものをこだわっていきたい。基本的にみんなが好きなもの・・・でもちょっと違うような・・・と感じてもらえるようなお菓子を作りたいですね。
大谷シェフが焼き菓子が好きなんです。ニューオータニの焼き菓子は大阪だけの大谷シェフだけのお菓子なんです。東京ではないんです。これからまだまだ自分も勉強していきたい部分でもあります。
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【夢・・・目標】
パフェとかデザートを食べていただけるようなそれぐらいのスペースを設けていきたい。ここ以外の場所で・・・夢がかなえばやってみたいです。
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| 【取材を終えて・・・つぶやき】
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お店をオープンされて間もない時期に取材に行かせて頂きました。オープン当時は行列が出来て買えないほど多くのスイーツファンを集めた話題のお店です。
お店にお伺いして、住宅地の一角、通り過ぎてしまいそうな場所に気品高く構えておられるお店・・・・そういう印象をうけました。
とてもお忙しい中お話をお伺いさせていただきました。お話しを聞かせてくださった新田シェフ・・・言葉少なな静かな物腰の中に真の強さ、物つくりをされる方らしい純粋さのようなものを強く感じました。
ショーケースの中はホテルを思わせるような洗練されたデザインのケーキはもちろんのこと、街のケーキ屋さんに見られる、ほっとするようなお菓子もたくさんあります。シェフこだわりの焼き菓子もその風貌はホテルを感じさせるものばかり。住宅地で贅沢を味わえる・・・・そんなお店です。家の近くにこんなお店があったらなあ・・・・なんて思いました。
取材の際、お願いをして、これまでの数々のコンテストでの作品の写真を見せていただきました。もう圧巻です。いったいシェフの頭の中、創造力は・・・・
本当にあふれんばかりの作品の数々、受賞暦・・・・
長い時間をかけてぴかぴかに磨いてこられた腕・・・・パティシエという仕事・・・・そのすごさをまた見せていただきました。
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